生命観を問い直す@アカデミーヒルズに行ってきた。その1


六本木ヒルズで勤めていること自体は別に何とも感じてはいないのであるが(むしろいちいち「ヒルズ族ですか」とか言われてウザかったり、やたら給料の割には賃料が高かったりと負の面の方が多いのではあるが)時折上の方のイベントスペース(アカデミーヒルズ)で面白そうなイベントを開催してくれるので普段からウォッチだけはしている(メルマガ取ってるだけですが)。今回たまたま面白そうなセミナーを発見したので行ってみた。

11月21日(金)19:00〜21:00
生命観を問い直す
講師:福岡伸一分子生物学者/青山学院大学 理工学部 化学・生命科学科 教授)

セミナーで福岡伸一先生は素人にも分かり易く説明いただき、興味がわいて非常に面白かった。以下簡単にレポートを記してみようと思う。但し生命学をこれっぽっちもかじったことのない素人メモなので、記述に間違い等あるかも知れないがご容赦願いたい。

機械論的生命観と動的平衡

現在の最先端医学に於いて遺伝子組み換え、クローン技術、ES細胞、臓器移植を支える考えのひとつに「生命とはミクロな部品が集まってできた精密機械である」という機械論的生命観がある。臓器移植などはまさに「パーツ」としての人体の一部を「生きたまま」移植(交換)のであるからプラモデルと一緒である。このことに異を唱えた生物学者ルドルフ・シェーンハイマーは、ある実験を行った。アイソトープという分子にマーキングを行った食物をネズミに食べさせて食べ物の分子がネズミの体内でどうなるのかをトレースした。これまでは食べ物は体内で燃やされ二酸化酸素と窒素その他になって対外へ出されると思われていたが、マーキングされた分子は体内のあらゆるところに散らばって、古い分子と入れ替わり体内に溶け込んだのである。つまりは生命の中では分子は分解と合成を絶え間なく繰り返し、生命とは常に流れの中にあるのだということを発見した。これを「動的平衡状態」と言い、生きているということはとりもなおさず「動的平衡」を保っているということである。
エントロピーの増大により秩序あるものは全て無秩序となるが、生命現象は

  • 頑丈に作ることをあきらめた。ゆるゆる、やわやわに作った。
  • 細胞は敢えて壊して作り直すことに注力した。

ことにより寿命を長らえている。
あらゆる生命は必死の自転車操業で分解と合成を繰り返す(=動的平衡を保つ)ことによりエントロピーの増大に抗って無秩序(崩壊)となることを拒否してきた。但し老いには勝つことができず、人間だと60年〜70年くらいで自転車操業エントロピーの増大に追いつかれる。但しその前に次の世代へのバトンタッチは終わっており、新たな動的平行が保たれている。
「部分だけを見て判断するのではなく、全体の流れを見ることが大切である」と先生は語っておられました。

脳死問題と脳始問題

ここは先生からの問いかけであった。人間は約60兆個の細胞で作られており、全ての動的平行が止まるのは脳死よりもずっと後である。いつ死んだと言えるのであろうか。また全体の流れの中で生命現象が保たれているのに、そのパーツを切り刻んで移植するということはどういうことなのか。
また法律上は妊娠22週目以降は「胎児が母体外において生命を保続することのできない時期」を過ぎるので中絶は出来なくなるが、逆に言えば21週まで中絶が可能であるということ。本来であれば受精後から動的平行が開始しているのに、いつ生まれたと言うのであろうか。また、ES細胞というのは受精後5、6日目の胚から取り出されるのである。これはどういうことなのか。


こうやって書いていると意外にボリュームが多くなってしまった。一旦中座して続きは、その2にて記述する。